大阪府八尾市に拠点を構え、空調・恒温恒室クリーンルーム工事、メンテナンス、プラント工事などを行う「三和設備株式会社」は、官公庁工事を中心に給排水設備、空調設備、電気設備工事の設計・施工をおこなう「近畿総合設備株式会社」に会社譲渡を実現されました。2代目社長である森岡誠治様に経営を引き継いでから、直近 4〜5年で順調な成長を見せていた三和設備。M&Aにより会社を新たなステージへと進める決断をした森岡様に、M&A検討の背景や今後の展望などについて、お話を伺いました。

 

譲渡企業
社名 三和設備株式会社
業種 空調設備工事など
拠点 大阪府
譲渡理由 資本獲得による事業拡大、

成長戦略

 



 

譲受企業
社名 近畿総合設備株式会社

業種 管工事業・電気工事業
拠点 兵庫県
譲受理由 技術力・開発ノウハウの強化

 

次期社長を育てるべく、2代目社長が決意したスモールM&A

もともとサラリーマンとして東京に単身赴任していた森岡様は、ご家庭の都合で大阪へ帰省をすることになり、そのタイミングで会社をご退職。自身で商売を始めることを考えていたところに、サラリーマン時代に取引先だった三和設備の創業社長からお声がけがあり、数年の引継ぎ期間を経て二代目社長として会社を引き継ぎます

「自分で商売を始めることを先代に相談したところ、『一緒にやらへんか』と声をかけてもらいました。それから2年くらいかけて引継ぎをして、2020年に二代目社長として就任したという経緯になります。

M&Aを検討するようになったのは、社長になって2年ほど経ったころになります。業績が伸び始めていたこともあり、会社を次のステップへ進めることを考えたとき、ひとつの手段としてM&Aを検討するようになりました

私は社長になってからまだ3年しか経っておらず、60歳になるまでは現役で頑張るつもりではいます。しかし、次の後継者を育てるためには少なくとも5年はかかります。そのため、スモールM&Aで事業を多角化し、より魅力的な会社にすることで良い人材が入ってきてくれたらいいなという想いもありました。」

森岡様が社長に就任したのは、森岡様が50歳になる直前。10年後の60歳を一区切りとして、残り10年でどこまで会社を成長させられるか、次の世代にどうバトンを渡していくかを常に考えていたと言います。

先代から預かった会社をより良い状態で次に繋げるのが2代目として果たすべき役割であると感じていたという森岡様は、今よりも体制を強化する、よりスピード感を持って会社を大きくするにはM&Aが有効だと考えます。

当初は売却ではなく『買収』による事業拡大を考えていたという森岡様。買収先を検討するべく数社と面談を行いましたが、なかなかマッチする会社に出会えなかったとのこと。そこで「自社を売りに出したらどのような会社が手を上げてくれるのか」と発想を転換し、2023年の夏ごろから譲渡側としてのM&Aを検討し始めます。

 

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「この人に賭けよう」他社を引き継いだ2代目社長同士の出会い

会社の譲渡を検討し始めた森岡様は、まず最初にM&Aを仲介するアドバイザー探しを開始。そこで、今回のM&Aを支援された株式会社NEWOLD CAPITALにアドバイザー業務を依頼し、譲渡先候補を募り始めます。

「私がM&Aアドバイザーを選ぶ際に重要視していたのは、『腹を割って本音で話せる相手かどうか』です。正直、その会社のバックボーンはあまり気にしておらず、あくまでも直感やフィーリングを大切にしていました

私がコミュニケーションを取りやすい相手かどうか、この先も一緒に仕事をしたいと思える方か、信用できる人かどうかという軸で、最終的にNEWOLD CAPITALの木澤様に依頼することを決めました。」

NEWOLD CAPITALの木澤様と二人三脚でM&Aを進めた森岡様は、バトンズを含めたM&Aプラットフォームも活用して合計6社と面談を実施。4社から意向表明を受け、具体的な交渉へと進んでいきました。最終的に譲渡先として選んだ近畿総合設備株式会社は、その4社の中では最も規模が小さい会社だったといいます。

「当社は自由な社風がある会社なので、譲渡先の会社と社風が合うかどうかは大事にしていた軸でした。既存の社員が、今後も不自由なく働ける環境を作っていただける会社かどうかは、譲れない点でした。そのほかにも、当社とシナジー効果が出せるような事業を展開しているかどうかも確認しました。

近畿総合設備さんは、社長が私と同じように血縁ではなく2代目としてやってこられたという親近感がありましたし、当社と同じくらいの規模感の会社であり、こちらの条件を柔軟に受け入れていただけたので、譲渡を決めました。代表の水野社長と初めてお会いした際も、誠実な方でとても印象が良く、この方に賭けてみようという気持ちが一番芽生えた社長様でした。」