このままでは熟年離婚…息子が巣立ち夫と2人きりになった妻が言った「自分でも信じられない言葉」

喜んでいいのか、寂しがっていいのか、恵美は複雑な気持ちで息子の良太を見る。良太はそんな恵美の気も知らず、てきぱきと荷造りをしていた。

「なんかあったらいつでも電話しなさいよ」

「ああ、分かってるよ」

良太は恵美の言葉に簡単に返事をする。恵美の言葉の裏に隠してある気持ちなど、きっと気付いてない。

良太は22歳で、今年大学を卒業する。大学は近かったので家から通っていたが、就職先の配属が地方となり、1人暮らしをすることになったのだ。

恵美は正直、家から通える範囲の会社に勤めてほしい、そう願っていた。

しかしそうはならなかった。

もちろんこの不況の最中、息子が就職浪人をしなかっただけマシだというのは分かっている。それでも良太がこの家を出ていくというのは寂しい気持ちがあった。

良太は荷物を整理し終えると、スタスタとそのまま玄関に向かっていく。その顔には将来への期待しかなかった。そんな顔をされると、親としては何も言えない。

恵美はリビングでテレビを見ている夫の和幸を呼ぶ。

「あなた、良太が行っちゃうわよ」

「……ぉう」

小さな返事の後、和幸はここ最近また重くなった体を起こし、玄関に来た。

「じゃあ行ってくるよ」

「本当に健康にだけは気をつけてね。あなた、料理とかはできる?」

寂しいわ、という言葉を喉にとどまらせながら恵美は言葉をかける。

「分かってるよ。大丈夫だって」

良太は困ったように笑った。

「……まあ、元気でな」

和幸はポツリと呟(つぶや)いた。恵美は思わず和幸に向ける目線が鋭くした。

「ああ。それじゃあ。たまには帰ってくるよ」

それだけを言い残し、良太は実家を出て行った。

良太を見送ると、和幸はまたリビングにのそのそと戻っていく。

男親というのはこの程度の愛情なのだろうか。

恵美は改めて思い知らされた。

味気ない会話

それから恵美は晩ご飯の買い出しにスーパーへと向かった。

昔は子供たちと一緒にカートを押しながら買い物をしていた。しかし長男の透が先に独り立ちし、次男の良太までいなくなった。買い物の量もどんどん減っていく。

こうやって最終的には何も買わなくて良くなるのかもしれない。

そう思うと、寂しくて仕方がなかった。

家に帰り、恵美はすぐに晩ご飯の支度を始める。わが家では定番のしょうが焼きを作る。この料理は子供たちに評判だった。それを子供のいなくなった食卓に出す。そして和幸は無言のまま、それを食べている。

「……今頃はもう良太も晩ご飯を食べているところなのかもしれないわね」

「そうだな」

和幸はそう言ってしょうが焼きを口に入れる。

「透のときもこんな感じだったのかしら?」

「どうだろうな」

恵美はバレないようにため息をついた。

こんなのは会話じゃない。質疑応答だ。

そこで恵美はふと考えた。

和幸と最後に会話を交わしたのはいつだったろう。

恵美は思い出せなかった。

家の中で会話を繰り広げていたのは基本的に子供たちと恵美だ。恵美から和幸に何か話しかけることはあるが、返ってくるのは短い返事だけ。

恵美はそこでリビングを見渡した。がらんとしたこのリビングで、余生を過ごさないといけないのか。

そう思うと、背筋がぞくりとした。

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熟年離婚の危機

恵美は専業主婦で、和幸は不動産会社に勤めている。今は繁忙期ではないので、和幸はどうしても定時に帰ってくる。

恵美は何かを振り払うように今の生活を楽しもうと、和幸にとある提案をする。

「ねえ、息子たちもみんな独り立ちしたし、何か2人でやりたいことを見つけようよ」

ソファに寝転ぶ和幸に恵美はそう声をかけた。しかし和幸は何も返事をしない。

「2人とも時間があるんだからさ、趣味でも見つけないと損じゃない? どう?」

「……任すよ」

そっけない和幸の返事に怒りを覚えた。

「そ、そう? 何かやりたいこととかない?」

「ないよ、そんなのは」

「そう。分かった」

恵美はできるだけ冷たく言い放った。

自分たちの関係もいよいよのところまで来ていると実感する。

思えば和幸は昔からそうだったのだ。

能動的に何かをやろうとしたことはなかった。全て恵美が提案したことに乗っかるだけ。つき合うのも、結婚も、家を買うのも全て恵美から発信したことだ。

恵美は苛(いら)つきを隠しながら、リビングを出ようとすると、床に脱ぎっぱなしになっていた靴下を見つける。

「靴下くらい、ちゃんと洗濯カゴに入れてよ。良太だって言ったらやれてたのに」

恵美は嫌みったらしく和幸に伝えた。

「……ああ」

しかし返ってきたのはそれだけ。これじゃ壁に向かって話しているみたいだ。恵美はそう思いながら、丸まった靴下を洗濯カゴに投げ捨てた。

それから恵美の中で和幸に対する気持ちは日を追うごとに冷めていった。

もちろん、それに和幸が気付いた様子はない。

いつも変わらず仕事から帰ってくれば、黙ってダラダラとしているだけだ。

しかしそんな当たり前のことが恵美には腹立たしくてしょうがなかった。横で和幸はいびきを立てて寝ていることすら嫌悪感が走るようになる。

恵美の脳裏に、熟年離婚という言葉がはっきりと浮かんでくるようになった。