日本のコロナ「専門家」はなぜ表舞台から消されたのか…有事での「専門家」と「政治家」の駆け引きから見えた日本の政治システムの限界

政権と世論に翻弄されながらコロナ禍の危機と戦った感染症専門家たちの観察を続けたドキュメント『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)。家族や自身を危険に晒し、研究者としての輝かしい評価を犠牲にしてまで、危機と向き合った彼らはなぜ蹴りだされるように国家の中心から去ったのか。著者の野真嗣氏に話を聞いた。(前後編の後編)

《前編》岸田首相と15分の面会で終了…日本のコロナ「専門家」が評価されない理由


安倍、菅、岸田…なぜどの内閣もコロナ対策で苦戦したのか


――新刊『奔流』を面白く読みました。サブタイトルの通り、日本を襲ったコロナ禍と最前線で闘った専門家たちが、「政治(家)」によって、どのように“消されていったのか”を追跡した迫真のドキュメントですね。

――広野さんは、2020年に始まり現在にいたるコロナ対策の推移を、3つの段階に分けて考えていらっしゃいます。

【第1期】未知のウイルスとの遭遇、試行錯誤を重ねた時期
【第2期】医療逼迫が繰り返された時期
【第3期】社会・経済を動かすステージに向けて踏み出した時期

広野(以下、同) これは私というより、尾身茂さんが3年間のことを振り返って語った区分です。これはウイルスがつくり出した感染状況による区分ですが、興味深いことにそれぞれの時期が安倍、菅、岸田という政権期と、それぞれほぼ重なっています。

――本書で一貫して描かれるのは、コロナ対策にあたって登場した「政治家・官僚ではない専門家たち」と「政治家・官僚たち」による駆け引き、綱引きです。
安倍総理の「一斉休校」、菅総理の「Go Toトラベル」、岸田総理の「コロナ分科会廃止」。この他にも東京五輪の延期および開催など、コロナ禍において、さまざまな政治的措置がおこなわれましたが、個々の政策は、すべて「政治家・官僚の思惑」と「専門家たちの危機意識」の綱引きの中ではじき出されました。

安倍、菅、岸田のいずれの内閣も、コロナ対策で苦戦しました。もともと官邸主導政治とは、危機管理を強くするために進められてきた成り立ちがあるのに、なぜこうもギクシャクしたのか。




2023年4月、コロナ交付金の廃止提言する岸田首相 写真/共同通信


――そんな成り立ちがあったのですね。

ひとつのきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災です。当時は村山富市政権でしたが、中枢に情報が集まるのが遅れ、初動から後手に回ったと批判されました。こうした反省から官邸機能を強化し、首相がリーダーシップを発揮する政治が求められました。

小選挙区制の導入で総理・総裁の権力は増大し、中央省庁再編を通じて人事や予算管理の権限も強められてきた。このモデルは一定の達成を見たはずなのに、コロナ危機では官邸は表に出ることを回避し、専門家に対してリスクコミュニケーションの前面に立つことを期待しているようでした。


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少しでもリスクがあれば語らない、判断しない政治家


――それは、なぜでしょうか。

詳しくは『奔流』を読んでいただきたいのですが、ひとつには、未知のウイルスのリスクがあまりに不透明で、下手をすると政治家は批判を受け、支持率下落に直結することを恐れていたこと。もうひとつは、首相のリーダーシップを履き違えていたことです。

官邸には今、あらゆる政策課題の起動ボタンが集まっています。その優先順位を差配する首相には、官僚組織や人々に対してどうしてそういう選択をしたのか、「語りかける力」が求められると思うんですよね。

誰かに代わってもらうことはできない役目なのに、3人の首相はそれぞれ大事なところで、平時と同じように、失言リスクがあれば語らない、判断しないという行動パターンをとりました。




広野真嗣氏


――具体的な場面としては?

象徴的な局面を挙げれば、変異株の急速な広がりと五輪開催が重なり、政府と専門家の対立が際立った2021年5月以降の第5波の時のことです。

「緊急事態宣言の下でオリンピックをやるのは、ふつうはない」という尾身氏の国会での発言の一部のインパクトが強くて多くの人が誤解しているのですが、専門家たちは五輪の開催そのものに反対はしていませんでした。




写真/Shutterstock

――私も誤解していたひとりでした。

首相の菅氏が五輪開催への強い意欲を持っている一方、従来よりも感染力が強い変異株による流行が兆している。だから「なぜ五輪をやるのか」「どんなリスクがあるのか」を首相自らが語ってほしいと意見具申していたのです。戒厳令のような強い私権制限のできない日本では、国民に自発的に協力してもらうしかないからです。

その上で、感染をできるだけ下火にするにはどうしたらいいか、「リスク評価をさせてほしい」と訴えているのに、菅氏は、主催者は国際オリンピック委員会(IOC)であることを強調するばかり。「やると決めました」という大方針を自らの言葉で語ることもなかった。

―― 一言でも「リスク」を口にしてしまうと、野党やメディアに攻め込まれる。そればかりを気にして。

感染状況がどんどん変わる中で、首相も国民の不安の変化に寄り添った語りをしないほうがリスクでしょう。平時とは違う構えをとって、間違いがあったら、その都度修正すればいいのに。