第5回 クロスボーダーM&AとPMIの要諦

経済のグローバル化が進む中、日本企業においてCFO(最高財務責任者)の役割が急激に高まっています。専門性が高度化し、カバー範囲が広がり、業績に与える影響度が強まっているのです。求められる資質や能力は従来のOJTでは到底習得できません。このことは周知の事実ですが、ではどうすればよいかが明らかになっていません。そこで本連載では、この課題を解決するための一つのモデルを提示していきます。製造業を中心に上場企業3社や外資系日本法人などで通算25年超CFOの役割を務めてきた実務家の吉松加雄氏が、自身の経験と学究で得た知見をもとに、「グローバル経営におけるCFOの役割とCFO人財の育成」について全6回の連載で提言しています(毎週水曜日更新)。第5回はクロスボーダーのM&A(合併・買収)とPMI(買収後の統合)についてです。買収のための投下資本とPMIに関わる人的資源を考慮すると、規模によってはM&AとPMIの成否が企業経営の成否に直結します。本稿では、特に日本企業にとって難易度が高いクロスボーダーM&Aについて、いかにその成功確率を高めていくかを考察していきます。

日本企業のクロスボーダーM&Aと

PMIの課題

 筆者のM&A(合併・買収)との関わりを振り返ると、職歴の半分以上に当たる約25年間は、M&AとPMI(買収後の統合)が重要な位置を占めてきました。職歴は連載第1回で述べましたが、M&AとPMIの経験については、本稿の最後にまとめました。

 今回は、成功事例が比較的少ないといわれる日本企業のクロスボーダーM&Aの成功確率を、いかに高めていけるかを考察していきます。

 まず、PMIについての理解を進めるため、連載第2回の「CFOの役割3軸俯瞰」で、持続的な企業価値向上のプロセスをまとめた図表5-1の「サステナブル経営軸」でPMIを俯瞰してみます。

 図表5-1では、価値創造を大きく3要素/領域に分けました。「経営理念・経営哲学」「企業価値の創出」「企業価値の毀損防止」の3つの切り口から、PMIにおいて、買収側の親会社(グループ)から導入するものと、被買収会社のノウハウを活用するものとを大別して、その2つの観点から見ていきます。

 経営理念・経営哲学:グループ一体化経営推進と3G(グループ・グローバル・ガバナンス)強化の観点から、クロージング次第、親会社(グループ)の経営理念・経営哲学を丁寧な説明をしながら、直ちに導入を開始。

 企業価値の創出:被買収会社の企業価値創出の源泉であるバリューチェーン(価値連鎖)領域に相当。クロージング次第、被買収会社のコアコンピタンスを最大限活用してシナジー実現を図る。経営管理面では、経営改善とシナジー実現を加速させるため、スピード経営に関する親会社(グループ)の経営(管理)ノウハウ導入を優先。

 企業価値の毀損防止:グループ一体化経営と3G強化の観点から、クロージング次第、親会社(グループ)のガバナンスとコンプライアンスの仕組みと、経営(管理)ノウハウを丁寧に説明しながら、直ちに導入を開始。

 上記の整理の中で、筆者は、経営ノウハウは、「企業価値の創出」と「毀損防止」の両面の経営管理領域に存在すると整理をしています。

 日本企業のクロスボーダーM&AのPMIにおいて、まず高いハードルになるのは、経営哲学や経営ノウハウを被買収会社の経営幹部が得心するまで伝えること、といわれます。

 この伝授においてハードルを高める要因は、オランダのマーストリヒト大学名誉教授のヘールト・ホフステードやINSEAD教授のエリン・メイヤーら多くの研究者が論じているように、異文化による相違点にあります。

 特に、連載第2回で論じた理念体系に含まれる「企業の存在意義であるパーパス」と、ピーター・ドラッカーが「ネクスト・ソサエティにおける企業の最大の課題」と位置付けた「社会的な正統性の確立、価値、使命、ビジョンの確立」は、企業経営の根幹を成します。

 それらは、経営哲学であるとともに個人の職業観や価値観にも関わるものです。クロージング(譲渡完了)後すぐに、被買収企業幹部の従来の価値観や意識を変えることは容易ではありません。

 M&Aに関わるマネジャーから時々伺う悩みに、「買収した海外子会社が親会社を尊重してくれない。海外企業をどのようにマネージしていけばいいのか」があります。

 これに対して筆者は、「経営哲学や経営ノウハウは、その合理性も含めた丁寧な説明に加えて、よい結果につながらなければ得心してもらえません。性急に日本化を求めるとかえって逆効果になります」「ただし、ガバナンスに関わるところは議論の余地は少なく、たとえばJ-SOX対応などは、上場維持のルールとして十分に説明の上、納得を得ることが重要です」と答えるようにしています。

 経営ノウハウの受け入れについて、最初は抵抗感があっても、実践することで改善が進み、業績が向上していくならば、被買収会社の雰囲気が一変し、受容度が上がっていきます。そういった好循環が続くと、被買収会社の経営者・幹部の達成感向上や報酬増加にとどまらず、全従業員の待遇改善につながり、経営レベルの向上とともに会社全体のモチベーションが上がっていき、PMIは成功裏に進みます。

 PMIの開始時点で留意するべきことがあります。バリュエーション向上を目的とした譲渡前の投資や経費支出の抑制です。収益性とキャッシュフロー改善のため、開発投資と設備投資が必要最小限にされ、譲渡前で人財の流出が増える一方で、採用が思うようにできず、経費削減により一部の事業活動に支障も出る状況です。被買収会社(ターゲット)の事業活動は大きな制約を受けて、経営幹部と社員にフラストレーションがたまり、モチベーションが上がりません。

 クロージング時点の被買収会社は、このような状況に置かれていることも考慮して、買収直後から費用対効果を見極めた上で、積極的な投資を奨励して、モチベーションと業績の向上を図ることは効果的です。

 PMIの進展に伴い、業績と経営力が向上し、成長戦略展開加速の要請からM&A検討に至ると「売りに出された」感覚から「自分たちが買収する」に変わり、意識の高揚が見られます。日本化せずとも、PMIは想定を上回るシナジーを実現しながら、進むようになります。全員の士気が上がり、高い目標に挑み続ける好循環サイクルが生まれてきます。

 連載第4回で論じたように、今後、グローバルモデルの親会社集権的な意識から、相互信頼をベースとして全体最適とDE&Iも踏まえたトランスナショナルモデルへ進化が求められていくと思います。オープンでフランクに是々非々による積極的な被買収会社のノウハウ活用が行われると、ウイン・ウインによる早期のシナジー実現が進んでいくでしょう。グローバル本社としては、より一層高い視座と大局観が求められていきます。

 図表5-1の企業価値の創出において経営戦略と経営計画は、企業価値構成4要素(社会価値、顧客価値、財務価値、人財価値)の中の財務価値創出の中核になります。M&Aにおける被買収会社の経営戦略と経営計画は、買収戦略とシナジー予測に直結することから、買収監査(デューデリジェンス)による精査を経てバリュエーション決定の重要項目となります。

 ここで、バリュエーション決定について少し触れます。クロスボーダーM&Aでは、国内M&Aと同様にM&Aの目的と戦略整合性確認のため、M&Aにより獲得を目指すものをまず明確にすることが大切です。

 戦略立案の要領で、市場・製品・能力(開発力・知財・製造等)など、M&Aで獲得する項目をブレーンストーミング的にリストアップして優先順位付けをします。それらを項目別に重要性の判断と優先順位付けを行い、オーガニック成長(自律成長)との比較による定量的な価値評価も行います。たとえば、「M&Aで獲得する新技術や製品と、自社開発の場合の所要リソース(人と開発費等)、所要期間/時間、収益差額(対象期間累計)などの定量的な比較」などです。

 デューデリジェンスの際には、自社経営戦略における位置付けの確認、前述の被買収会社の経営戦略と経営計画の精査、想定シナジーの算定、上記の個別項目別価値評価、デューデリジェンスによる新規検出項目などを各種バリュエーション(DCF法、売り手側ケース、FA〔Financial Adviser〕ケース等)に反映させます。この価値評価をベースに、のれんの減損リスクや落札想定額も考慮しながら、買収価格を決定していきます。

「経営管理」については、連載第2回で論じたように、図表5-1の企業価値創出と毀損防止の2種類の経営管理を同時並行で導入していきます。また、連載第4回で考察したグローバルマトリックス型経営管理体制は、経営品質向上と経営効率向上により価値創出と毀損防止の両面に寄与するフレームワークと考えます。

 経営管理の具体的項目では、これまで見てきたスピード経営導入、短周期マネジメントサイクル(週次業績管理と四半期決算早期開示)導入、会計基準(IFRS)・SOX法対応、グループCMS加入などが、PMIの初期段階から重要項目です。いずれも意識改革と行動変革が求められるので、「鉄は熱いうち」の意識によるクロージング直後からの対応がスムーズな導入につながります。

 特に、非上場の同族企業を買収した場合など、会社によっては「決算は年1回で数カ月かける」ことが長く慣例になっているケースもあり、初期段階では、グローバル本社や地域統括会社が決算実務に入るサポートを求められることもあります。人財採用を含めた組織体制強化を、同時並行して進めることも必要です。

 日本企業によるクロスボーダーM&Aを考察するに際して、2018年3月に経済産業省が的確にまとめた『我が国企業による海外M&A研究会(以下、海外M&A研究会)報告書』を参照することが有効です。

 海外M&A研究会は、「海外M&Aにおいて、トップが果たすべき役割は極めて大きい」として、特に経営トップ等が留意すべき点について、【経営トップの役割】として「M&Aの本質を理解し、腰を据えてコミットする」重要性を訴え、次いでPMIを含むM&Aの全プロセスを4つのフェーズ【Pre-M&A】【ディール実行】【PMI】【Post-PMI(過去の検証と次への準備)】に分け、その中で「海外M&Aを経営に活用する9つの行動」としてまとめています。

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日本電産の

M&AとPMI概観

 この9つの行動に沿って、日本電産のクロスボーダーM&AとPMIを考察していきましょう。以下では、公表された事実や対外説明に加えて、当時の広報対応やIRの場で、筆者がCFOとして対外的に説明をしてきた内容も含めて、整理をして論じていきます。なお、ここでは会社名や役職などは当時のまま表現します。会社方針や会社形態などを含めて状況が、時間の経過とともに現段階では異なっている場合があるかもしれないことを付言しておきます。

 日本電産のM&Aは、リーマンショックを境目として、国内から海外へのシフトが見られます。2008年以前のM&Aの件数は国内が約8割を占め、「国内救済型」のM&Aが特徴でした。永守重信社長の対外的発信の趣旨、「技術は一流、ものづくりは二流、ただ経営には課題があり、経営危機に直面している会社」から、再建を要請された救済型の買収を表します。

 この国内救済型M&Aでは、経営危機のためバリュエーションが低く、のれんの減損リスクも小さく、収益構造改革と成長投資を短期間で実行すればクロージング後のV字回復のスピードも速くなります。クロージング直後から、PMI推進上の課題整理と優先順位付けを行い、親会社(グループ)の経営哲学と経営ノウハウ(企業価値創出と毀損防止の両面)導入と、早期のシナジー実現を図ります。

 これに対して、2010年以降は、「クロスボーダー・競争入札型」のM&Aが主流となっていきました。従来の主力製品の精密小型モーターの需要がピークアウトしてきたことも背景に、ビジネス・ポートフォリオの転換と拡大が企図されます。M&Aの対象は海外の車載用や家電・産業用などの中・大型モーターや機器装置などの事業にシフトしていきました。

 異文化の海外企業買収は難易度が高く、救済型の海外企業買収は一層難しいという前提の下、クロスボーダーM&Aでは、一定の収益性のある会社が対象となります。買収参加者は事業会社の戦略的買収者(Strategic Buyer)だけではなく、PEファンドなどの金融的買収者(Financial Buyer)も加わり、ターゲット獲得は競争入札型となっていきます。バリュエーションも上がり、のれんの減損リスクも高まっていきます。

 減損リスクを回避しながら、シナジーの早期実現を図る事業側PMIに加えて、クロージング直後からの垂直立ち上げによるPMI推進のフレームワークとして経営管理の仕組みと体制が重要になります。この仕組みづくりも目的として、日本電産では、連載第4回で詳述したグローバル5極経営管理体制の構築が急がれました。

 日本電産のM&Aの特徴を概観すると、

・持続的な企業価値向上に向け、買収後のシナジー早期実現を図る戦略的買収者(Strategic Buyer)である。買収後の数年間で企業価値を上げ、その後売却して譲渡益最大化を図るPEファンドなどの金融的買収者(Financial Buyer)とは異なる

・買収で獲得するものは、個別具体的には、製品、技術、製造能力、顧客やマーケットなど広範に及ぶが、一言で言うと「時間を買う」と定義

・「高値づかみはしない」方針の下、妥当な価格による買収と速やかなPMI推進により、のれんの減損リスクはミニマム

・戦略的買収者であり、基本的に買収直後にリストラや事業の切り売りはしない。売り手にとっては、譲渡後のレピュテーションリスクの小さい、質の高い買い手(Quality Buyer)と位置付けられ、譲渡先決定上の評価ポイントの一つと推定される

 そうしたM&Aを成功に導く3つのポイントとして、

(1)「高値づかみをしない」適正な買収価格

(2)PMIにM&Aの9割のウエートを置く(「クロージングはM&Aの全体プロセスの1合目」)

(3)シナジーの早期実現

 が掲げられています。