アメリカ西海岸のカルチャーやファッションをフィーチャーしてきたLightningにとって、デニムはその象徴的なアイテムのひとつ。この30年間、ずっとクリーンナップを担ってきた。デニムは1990年代に日本を席巻したヴィンテージブームで一気に火が付き、そんなヴィンテージを再現した“レプリカ”というカテゴリーも生まれた。現在に至る有名なデニムブランドの多くがこの時代に誕生している。いまでは世界をリードするデニム大国になった日本。その歴史はLightningとともにあったといえるだろう。そんなLightningの編集部員がデニム特集を振り返る!
やっぱりいまも昔も俺たちはヴィンテージデニムが大好きなんだ。
Lightningの編集部員ランボルギーニ三浦とADちゃん。ふたりはともに1977年生まれ。出身地も違えば、育った環境も違うのに、思春期に強烈なヴィンテージブームの波にのまれ、デニム漬けの日々を過ごしてきた。実は2人ともヴィンテージショップで勤務した後、編集者の道に進んだ経歴を持つ。そんなふたりがデニム特集を振り返りつつ、デニムについての思い出を語った。
ランボルギーニ三浦(以下、ラ)/いやぁ~今回の撮影に合わせてバックナンバーを全部見返したけど、デニムは常に載ってるね! 俺とADちゃんって同い年だけど、デニムっていつ頃から着始めたか覚えてる?
ADちゃん(以下、A)/いつだったかな。リーバイスとか知ってるブランドのやつはやぶん中学生くらいじゃないかな。
ラ/そうだよね。俺もリーバイスは中学からかな。小学生の時はジャージばっかだった。
A/当時はジャッキー・チェンとかキョンシーが流行っててさ。登校時も昼休みも走ったり飛んだり跳ねたりしてたから動きやすいジャージが最高だったよね(笑)。
ラ/千代の富士がいた大相撲も人気で、よく体育館で相撲もしてた! そう考えたらいまの小学生ってめっちゃオシャレじゃない? 俺の時とは身なりが違うよ。俺が札幌出身だから?
A/いや、圧倒的にいまの子はオシャレ! やっぱZARAとかユニクロみたいにリーズナブルな世界的ブランドも多くなったし、オンラインのフリマやオークション、リサイクルショップで安く見つけられるようになったからでしょ。
ラ/俺らの時ってそういうのなかったもんね。いま思えば、なんかブランドものを安く買うのって催事に行くしか手段がなかった。
2005年 Lightnning 3月号では「いつもボクらはジーンズ中心主義。」というのが巻頭特集。やや失速していたGジャン人気がこの年にはブーム再燃の兆しがあり、この1冊ではジーンズに合わせるものとして、Gジャンに最もフォーカスしているのがいまでは新鮮だ
A/催事あったね。新聞チラシでそういう催事の告知されてた。何回も行ったことあるわ!
ラ/俺も中学の時とか催事で新品のリーバイスを買ったけど、アウトレットだから赤タブが切られててさ。品番も501とかメジャーなやつじゃないよ。でも憧れのリーバイスだから赤タブが根元しか残ってなくても嬉しかった~。
A/やっぱりリーバイスは憧れたよね。映画とか見ててもあのアーキュエイトステッチ目立つから。
ラ/そうなんだよ。それでさ、高校の頃には空前のヴィンテージ古着ブームじゃん! リーバイスのヴィンテージ欲しくて仕方なかったな……。結局真っ白な66モデルを何万円か出して買ったけど、かなり頑張った記憶がある。
2005年は3月号に続き、11月号で再びデニム特集という盛り上がりっぷり! 写真のページはシュガーケーンが合成インディゴと江戸藍を使って染色した砂糖黍デニムのモデル。オリエンタルな仕様がブームだった時代を裏付けるジーンズだ
(広告の後にも続きます)
今後もデニムとともに、アメリカンカルチャーを盛り上げていきたい!
A/あの頃は高かったよね。真っ白でもXXなら10万円以上したもん。リーバイスが復刻モデルを売り出したのもあの頃だったね。
ラ/そうそう! 確か1万6000円。そんななかでシュガーケーンのバックルバックモデルは2万円超えてたはず。俺さ、20歳くらいの時に寝タバコしちゃって。朝ソファで目覚めて体起こしたら、履いていた2万円以上するシュガーケーンのジーンズの太腿まわりが灰まみれでさ。よく見たらでっかい穴が開いてんの。床にフィルターだけになったタバコが落ちてた……。
A/マジで? ジーンズに命助けられてんじゃん。それはデニムなしじゃ語れない人生ってやつだ。
ラ/そう。だからデニムは一生着続ける。これってインディゴの匂いを嫌ってヘビとかが寄り付かないから金鉱とか暗いところでの労働に最適だったとかいう説があるけど本当なのかな。蚊も寄ってこないんだったらよかったのに。
A/なんだそれ(笑)
ラ/マジで蚊に刺されるから。
A/ハチとかマダニとかも避けられたら最高なのにね。
ラ/そうでしょ! アウトドアにもデニムは最適ってなったよ。
A/確かに。ヘビ除けの話は置いとくけど、あの独特のインディゴブルーはやっぱ魅力的だよなぁ。エイジングしていくっていうのもいいじゃん! いまは色落ちさせることが醍醐味になってるし。
ラ/そうね~。当時の人は色落ちするのが嫌だったはずなのに、いまは色落ちがカッコイイんだから、ファッションしてるよね!
A/そっか! 昔は色落ちさせないような工夫もあったもんね。
ラ/そうよ! 硫化染めなんてそういう意図もあったんじゃない?
2007年 Lightnning 3月号の特集は「デニムがおもしろいことになってきた」。各デニムブランドがアイデンティティを強く打ち出してきたため、そこにフォーカスしたデニム特集号。HIDEHIKO YAMANEのカラーデニム、ウエアハウスの炭鉱系デニムワークパンツなど主張の強いモデルが世を席巻していた
A/そう考えると面白いな。セルビッジのアタリも当時はウケが悪かったっていう話だし。
ラ/あとは、ステッチカラーとの相性も抜群じゃん。イエローとかオレンジを使おうって思いついたのがスゴイ!
A/あれがネイビーとか同色系だったら、あんなにカッコイイってなってなかったかもしれない。
ラ/俺がまだ古着業界にいた頃、かなり年配の人が言ってたんだけどさ。’70年代半ばは新品の501がいわゆる66前期モデルだった時代でしょ。その新品が高くて買えないから、その人は中古のリーバイスを買ってたんだって。それは製造年代や色落ちに関係なく、サイズだけ分けて棚に積んでたみたいで、感覚的にいい色落ちのものを選んでたら、結果的にそれがXXやビッグEだったって言ってた。当時は中古は一律3800円とかだったって。
A/安っ! それがいまではとんでもない金額になっちゃって。そんな時代に行ってみたいな……。
ラ/マジでそれな。バック・トゥ・ザ・フィーチャーの世界にいたら真っ先に昔に行ってデニム買うでしょ。デッドばっかり!
A/絶対やるね! あの映画も’80年代か。なんだかいい時代だな。
ラ/こういう風にデニムから映画までアメリカ話で盛り上がれるのがまさにLightningって感じ。
A/だよね! これからもデニムを軸に好きなアメリカンカルチャーを盛り上げていきたいね!
ラ/若い世代にアメカジはやってるらしいしね。デニムセットアップが彼らのアメカジらしいよ。ネルシャツにジーンズは俺ら世代のアメカジなんだって。
A/そうなの? 面白い! でもやっぱ若い世代もデニムなんだ!
2008年 Lightnning 3月号は「デニムの進化が止まらない」。ヴィンテージデニムが一番いいのではなく、ヴィンテージの要素を持ちながら個性があってどこか新しさのあるデニムウエアに着目した1冊。なんでも旧ければいいってもんじゃないって!!
2009年 Lightnning 10月号「趣味人の聖地へ」。デニムウエアの作り手からコレクター、さらにはアメリカ現地のカウボーイまで取材してデニムに着目した1冊。ヴィンテージデニムが見つかることで有名になった、廃坑の鉱山跡地も紹介するなど様々な角度からデニムに切れ込んだ1冊
2012年 Lightnning 8月号「このアイテムのここが〇ここが×」。リーバイスのラベルにデザインされているツーホースマーク。2頭の馬で引っ張っても破れないジーンズという比喩を描いたものだが、それを実際にやってみたのがLightningらしい。結果は無残にも……
2020年 Lightnning 10月号。ヴィンテージから新品モノまでデニムを網羅したボリューム満点の巻頭特集が見どころ。モヒカン小川が人生初の加工デニムとして、ウエアハウスのセコハンをこの時購入した