文筆家として活躍するりょかちさんが、“お金にまつわるエピソード”をお届けする本連載。今回は、貧しさが大人を「子ども部屋」に閉じ込めているのではないかというハナシ。

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25歳くらいの時、私の夢は「お母さん」だった。
30歳になるまでに結婚して、家からできる仕事を得て、子どもを育てながら仕事を続けたい。

別にほのぼのした夢ではなかったと、今になっては思う。それはつまり言い換えれば、「女は20代後半になったら誰かに選ばれて家庭と子どもを持つのが普通」という常識からはみ出ないことと同時に、 「自分のやりたい仕事を続ける」ことを両立したいという夢だったのだ。端的に言えば、世間体を保ったまま自分の夢を叶えたかった、ということだったのだろう。

その夢を諦めたのはいつだったか、もう思い出せない。私もまだ30歳だし、家からできる仕事を得ているという点では夢の射程範囲にはまだいるはずなので、もしかしたらまだ諦めていないのかもしれない。

ただ、昔のように、夢の進捗具合に焦ることはなくなった。必ず夢を叶えなければならないという思い込みも消えた。それは、世の中が独身でいることに寛容になりつつあるからかもしれないし、自分がひとりで過ごすことが好きと理解したからかもしれない。

ただ、一つ確実なのは、お母さんを夢見た25歳の頃よりもずっと、今の方が「子育て」に対する解像度があがったことだ。

子育てには、時間的にも経済的にも投資が必要。そういった想像に思いを馳せる時、同時にそっと自分の懐具合を思い浮かべる。不可能ではないけれど、人生の多くを捧げることにはなるだろう。 “そこまでして” 本当にお母さんになりたいんだろうか?

“そこまでじゃない” けれど “チャンスがあれば”お母さんになりたい。

今の私はそんな気分だ。

そして、「子どもを持つ」ことが、まるで嗜好品のように経済的負荷がかかる今、私と同じような気分で「子どもを持たない」という決断をするでもなく、「現状を延長すること」を選択しているだけの人も多いのではなかろうか。

子どもがいない、家を買わない人を「子ども」扱いするのは日本だけじゃない

とはいえ、結婚もせず、子どももいない30歳は「まともな大人じゃない」と思われることもまだまだある。「子どものいない人にはわからない」「子どもがいないからいつまでも子どもっぽいまま」みたいなことを、遠回しに言われたことも、一度や二度ではない。

先日、「ミレニアル世代は若く見える」と言われている記事を見つけた。その中で、ミレニアル世代は次のように語られている。

ミレニアル世代が「大人になれない」ことについて、欧米ではすでに多くのことが語られている。私たちは、「家を持たない」「子どもをすぐに作らない」と揶揄される。とはいえ、この経済状況下で多額の収入や遺産がない限り、誰がそんなことをできるというのだろう? 私たちはこの年になっても、ずっと賃貸暮らしだ。

なぜミレニアル世代は若く見えるのか? 私たちが抱く「30代のイメージ」と現実のギャップ(VOGUE JAPAN)

欧米でもこういったことが語られているのは私も知らなかったが、どうやら子どもを持たなかったり、家を購入しなかったりして過ごす独身世代が “子ども扱い” されるのは日本だけではないらしい。

こういった二の足を踏む気持ちに関して「自己中心的すぎる」「結局自分が可愛いお子様なのだ」というようなことを言う人もいるけれど、誰かの欲望に関してケチを付けられても困る。あまりにも年上の人にそういったことを言われる際には、時代の雰囲気や景気の差を鑑みてほしいと思ってしまう。

近い世代に言われたとしても、ではそれで「そこまで言うならば」と、誰もが少しずつ “自己中心的” “自分が可愛い人生” をやめて子どもを得る決断をし、数十年自分を中心に考えず決断した未来を生き続けろというのだろうか。


髪をピンクにしました。30歳で「こういうのも子どもっぽいのかも?」と、ちょっとだけ気にしました。ちょっとだけ

我慢を伴う決断はスケールしない。世の中の仕組みに「仕方ない」と大人ぶって諦め、個人に我慢を強いてきた社会に無関心な “いい子” の皆さんに、「子ども扱い」される義理はない、と口の悪い私なんかは思ってしまう。

そもそも、“大人”という認識はおそらく、時代や文化によって変わっていくべきものだと思うので、その “あまりにも若々しい” ミレニアル世代が異常かというと、そうは思わない。けれど、この文章も伝えるように、じゃあ「大人になろう!」と意気込んでみても、そこに経済的なハードルがあり、二の足を踏んでしまう——その状況はあまりにも貧しくて異常だと思っても良いのかもしれないと思う。

「お金が心配で、大人になれない」というセリフを聞いたなら、注目して考えるべきはその個人ではなく、そういった30代を増やしている社会ではないだろうか。

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「お金がないから大人になれない」は誰のせい?

20代前半の頃に、ミレニアル世代の気持ちをつづるエッセイで連載デビューし、今は若者対象のリサーチを手伝ったり、トレンドの発信について編集者として一緒に考える仕事をしたりするようになった。

何年も「トレンド」「世の中の傾向」のようなものにアンテナを立てているとわかるけれど、当たり前だが、必ずトレンドの背景には “社会” がある。

だから若者のトレンドというものは社会変容を表していて面白いのだし、若者の姿から現代社会やその先の未来を考える研究をする学者の人たちも数多くいる。

私は、この「子どものような大人」が増えている現状を、「貧しさが大人を子ども部屋に閉じ込めている」と読み解くこともできると考えている。”大人”と言われる人たちは、いつまでも子どものように自分ひとりサイズの人生を遊んでいるわたしたちのことを「子ども」だと批判するけれど、現代の社会人の貧しさを考えてみれば、その中の何人かは、大人になることを諦めた人たちもいるのかもしれないと思うのだ。

私たちは世代を問わず、現代社会が産んだ “子どもたち”だ。

私は “大人” として——あるいは、ミレニアル世代の“子ども部屋の住人”として、次世代の母親世代になる女性たちが、子ども部屋を出ようとする時、その決意が不安に負けてしまわないような社会になるにはどうすべきか、常に考える人でいたいと思う。子ども部屋から出れなかった人たちを、面白おかしく語るのではなく。


推しのライブのために渡韓しました。「こういうのも子どもの遊びに見えるのかな?」と思いました。ちょっとだけ

1992年生まれ。京都府出身。神戸大学卒業。学生時代より、ライターとして各種WEBメディアで執筆。「自撮ラー」を名乗り、話題に。現在では、若者やインターネット文化について幅広く執筆するほか、企業のコピーライティング制作なども行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎)。朝日新聞、幻冬舎、宣伝会議(アドタイ)などで記事の連載も。