1980、中学生の一ヶ月の小遣いは3000円だった。LPレコードの値段が一枚2500円だったから、一ヶ月に買えるLPレコードはわずか一枚という計算である。それでも、ビートルズの曲を聴くためにはレコードを買うしか方法はないわけだから、正月にもらったお年玉の残りをそれにあて、7月前半に『プリーズ・プリーズ・ミー』と『グレイテスト・ヒッツ』というLPレコード2枚を購入した。購入先は東西線浦安駅の近くにあったレコードショップシブヤ。これで、ビートルズ関連のレコードコレクションは、『ヘルプ!』『マッカートニーⅡ』に加えて、計4枚になった。

初めてできたビートルズ・フレンド


オランダ編集盤『グレイテスト・ヒッツ』

『プリーズ・プリーズ・ミー』の購入理由はオリジナルアルバムを最初から集めようという純粋なもので順当と言えるが、初期曲を目当てに選らんだ『グレイテスト・ヒッツ』は、ファン最初期に買うレコードとしてはかなりレアである。この『グレイテスト・ヒッツ』は60年代にオランダで発売された編集盤で、日本では1978年にリリースされたものだ。この当時、日本の東芝EMIでは、各国の編集盤を積極的にリリースし、帯に番号を付けてカタログを増やしていた。

初期のヒット曲が満載されているなかで特筆すべきは「オール・マイ・ラヴィング」である。この盤に入っているテイクは最初にドラムのカウントが入っている、というか、この盤にしか入っていないレアテイクなのだ。通常テイクを先に聞いていた人にとっては違和感のあるものだが、最初にカウントありを聞いた筆者は後に聞くカウントなしに違和感を覚えたものだった。この『グレイテスト・ヒッツ』に収録されている曲はすべてが名曲で、感動したことには間違いないのだが、一方で、やかましい!と思ったのも確か。とにかくうるさいのだ。初期の曲は特にリンゴのハイハットがキンキンに鳴っているのが特徴だ。

そんな折、一人でファンをやっている自分に、ビートルズファンの友達が出来た。当時の音楽事情はニューミュージックが全盛で、一方でYMOがブレイク、さらにはたのきんトリオや松田聖子が出てきた時期で、まわりにビートルズの話ができる同級生なんて一人もいなかったのだが、ある日突然他のクラスのC君がやってきて「君もビートルズファンなのか?」と聞き、「家で一緒にレコードを聴こう」と言ってきたのだ。C君の家は、庭付き門構えという高級住宅で、当時の江戸川区の住宅事情を考えれば、かなり上質な部類のもの。促されるまま部屋に入ると、四方白壁のフローリングの真ん中に白いソファがあり、大きな窓の手前に大きなステレオセットが配置、その横のレコードラックにはビートルズのレコードが数枚並んでいた。畳ではない友達の部屋に入るのはそれが初めてで、多少緊張もしていたので、そのタイトルやそこでなんのレコードを聴いたのかは覚えていないが、テーブルの上に置いてあった『ミュージック・ライフ』かなんかの音楽誌に「ジョン・レノンが始動、ニューアルバムをリリース」のニュースが載っていたことを覚えている。

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千代田公会堂で観た初の動くビートルズ

 その数日後、再びC君が現れ、今度は「ビートルズのフィルムコンサートに行かないか?」と、アイドル雑誌『明星』の情報欄に載ったイベント告知を見せてくれた。そうか、自分はまだ動くビートルズを一度も観たことがないのだ。「それはぜひ見たい」と言って、1980720日の日曜日、コンプリート・ビートルズ・ファンクラブ主催のフィルムコンサートを千代田公会堂に観に行くことになった。上映内容が書かれていたけど、読んでも何もわからないから、前情報はほぼなしで、当日を迎えることになった。

11時開演、10時半開場なので、家から一時間としても9時半に出れば間に合うのではないかと思っていたら、早朝5時にC君をはじめ数人の同級生ビートルズファンが迎えに来た。2人で行くのかと思ったら5人だったことに驚き、いくらなんでも5時は早いのでは、と思ったが、初めて見る動くビートルズに期待がいっぱいで居ても立っても居られなくなって家を出てしまったのだという。親の車で葛西まで乗せてもらい、そこから東西線で九段下まで。そこから九段会館の前を通って千代田公会堂まで行ったのが、さすがに誰もいない。時間もまだ6時だ。そこから4時間、お堀の水面を見つめ、日本武道館周辺を散歩してりして時間を潰していると、徐々に人が集まりだし、開場時間となった。エレベーターで最上階に上がると、そこに物販コーナーが置かれ、机の上に多数のビートルズグッズが並べられている。ポスターに生写真、紙袋、缶バッジ等々。見るだけのつもりだったのに、周りに煽られて気が付いたらいくつかのグッズを手にしていた。ここからコレクター人生が始まった。