Photo:1901年式米国「LOCOMOBILE」:自動車の歴史は蒸気自動車から始まった ©sawahajime

 ネット検索していると、EV車に関する誤解が多数見受けられる。特に「電気自動車は排気ガスを出さないからクリーンだ」との短絡的な意見が多い。

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 走っている時に「CO2」を排出していないだけで、内燃機関車よりクリーンだと単純に考えるのは大間違いで、既に充電に使用する「電気」を作る際に多くの「CO2」を排出している。加えて、EV車の製造過程でも、内燃機関車両よりも環境には悪い事実がある。

 そこで、ネットでの乱闘を避けて、ネット上のEV車議論に、客観的な情報を提供したいと思う。

 筆者の基本的な現状分析と認識は、
 1)自動車の将来は「水素エンジン」と「燃料電池」に向かう。
 2)地球規模ではガソリン車、ディーゼル車が無くなる事は無い。
 3)EV車は欠点を順次改善して一定用途にのみ存在し続け得る。
 とのスタンスである。

 念のためにEV車に関して補足しておけば、純粋なバッテリーだけで駆動する『電気自動車』では無く、BMWi3の様な『レンジエクステンダー』か、トヨタプリウスPHVに代表される『プラグインハイブリッド』か、日産ノートe-POWERの様な『シリーズHV』になるだろう。

 いずれも「必ず内燃機関が搭載されている」点に注目しておいて欲しい。

 上記の様な状況認識を背景にした、「EV車の問題点」の総括となる事をご理解願いたい。ネットの“リングに上る選手“の為、「#EV車の問題点」なる呪文も唱えて、数回にわたる情報提供を始めたいと思う。

●過保護なEV車

 補助金をふんだんに貰って、過保護な環境で「ガソリン車、ディーゼル車、ハイブリッド車等の内燃機関搭載車」と競うのは本来フェアなものではない。

 特に政治的な思惑や、技術レベルの低さ、自動車産業を支えるための産業構造の貧弱さをカバーする目的で、土俵を変えて、国家的な強権を使っての「EV車押し」はおかしい。

 ハンディ無しに、スクラッチで競えるようになってこそ「EV車の存在意義」がある。

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●EV車は内燃機関に駆逐された古い技術だ

 自動車の歴史は、「蒸気機関」から「電気自動車」に向かい、この電気自動車の不都合を克服したのが「内燃機関車」だ。

 「電気自動車」は、利便性から「蒸気機関搭載車」に勝っていたが、内燃機関技術が進歩する事によって駆逐された。

 当時のバッテリーが「鉛蓄電池」であった為に、現在のEV車よりも性能的に劣っていたのは事実であり、「ニッケル水素電池」や「リチウムイオン電池」と進歩するに従い、実用性能は向上した。だが「発火事故」等の危険性も増大している。

 今後、「全固定電池」が飛躍的に進歩しない限り、EV車は一時的なブームで終わる筈だ。(参考写真: 1901年式米国「LOCOMOBILE」:自動車の歴史は蒸気自動車から始まった ©sawahajime)

 最近、唐突にEV車、EV車と騒ぎだした理由は、中国の「土俵を転換しなければ、未来永劫、ガソリン車では欧米の技術に追いつけない」との焦燥感と、ドイツが日本の「ハイブリッド」技術に対抗すべく取り組んだ「クリーンディーゼル」戦略が、技術力の欠如で、米国で「排気ガス規制への偽装」を引き起こした事に起因する。