幹部は全員大学に進学。大分の異色レディース「烈慰羅」初代総長のゆきみは学校も暴走も”ハンパ”は許さなかった

“レディース”という存在を世の中に周知させ、1980~1990年代にかけてツッパリ少女たちのバイブルとなった雑誌『ティーンズロード』。全国各地の有名レディースたちが登場するなかでとくに異彩を放っていたのは、大分県の烈慰羅(れいら)初代総長のゆきみ。彼女は取材時に大学進学を果たしていた。初代編集長の比嘉健二氏がレディース少女たちと接した日々を記し、第29回小学館ノンフィクション大賞も受賞した『特攻服少女と1825日』(小学館)。同著より、一部抜粋、再構成してお届けする。

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幹部メンバー全員が大学合格


大分県という遠方のレディースだったため、実際は一回しか会っていないが、「烈慰羅」の初代総長のゆきみの印象も深かった。その特異な生き方と考え方はこれまで取材したレディース総長とは明らかに一線を画していた。なんと取材時に大学に合格していたのだ。

この時代のレディースは高校卒業でさえ珍しいのに、ゆきみは春から大分の大学で保母の資格を得るために進学することになっていた。

さらに驚くことに、他の幹部のメンバーも全員大学に合格していた。多くのレディースたちは17歳か18歳で引退し、中には引退してすぐに母親になり落ち着いてしまうケースも多いから「烈慰羅」のメンバーはかなり異質な存在だった。




伝説の雑誌『ティーンズロード』1991年5月号


また、ゆきみがインタビューの中でこう語っていたのも印象的だった。

「学校も行って、仕事もして暴走する時はハンパじゃなくやるっていうのが好きなんです。将来結婚して子供ができても働けるように保母さんの資格が欲しかったんです、でもそんな大したもんじゃないですよ」

ゆきみのこの言葉に他の幹部も「当たり前だよな」と頷いていた。総長ゆきみの価値観にメンバーが相当影響されている様子がうかがえた。

レディースたちは総じて、人一倍気が強く自我も強いため、傍目で見るより人間関係が複雑で、ワンチームとして統制をとるのはかなり難しい。


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後輩を心配して特攻服で号泣


烈慰羅はこの日ほぼ1日密着取材したが、かなり統制がとれていてメンバー間の関係も良好に見えた。幹部メンバーの一人がなかなか時間通りに来なくて、ゆきみは再三「すみません」と頭を下げに来た。何かトラブルでもあったのだろうか、心配そうなゆきみの表情はかなり険しくなってきた。

そこそこ大きめな公園での取材だったが、メンバーは改造車で来ているし、ゆきみ本人も改造した単車のCBXで来ている。素早く撮影しなければ警察が来て取材を中断せざるをえない場合も十分に想定された。

しばらくしてその幹部が慌てて駆けつけて来た。途中で事故ってしまい、別の友達から借りてきた改造車に乗って来たのだ。遅刻した幹部は安堵したのか、ゆきみの特攻服の胸で号泣していた。ゆきみに連れられ、幹部は遅刻したことに頭を下げに来た。




メンバーの関係が良好なレディースもあった


強く記憶に残っているのは、メンバー全員が揃ったのをゆきみが子供のように喜んでいたことだった。こんな何気ない光景にもゆきみがメンバー思いであると同時にこのチームの大黒柱であることが見て取れた。取材はゆきみのテキパキとした指示でスムーズに終わらせることができた。

「私は本当は強くないんですよ、よく泣くしね、総長やってるけど、みんなあっての総長な
んです」

この謙虚な言葉にもゆきみの人間性の大きさがにじみ出ている。常に慕ってくれるメンバーを気遣っているのだ。

数年後『ティーンズロード』を離れて別の雑誌を手がけていた時、突然ゆきみから連絡があった。大学で勉強していること、他のメンバーもちゃんと大学に通っていることの報告だった。「たまに族車で通学しそうになるのが心配だな」なんてつぶやいていたが、小柄で細いゆきみがキャンパスを颯爽と歩く姿を想像して思わず嬉しくなってしまった。

残念ながらゆきみとは今は連絡がつかないし、その後どんな人生を歩いているのかはわからないけれど、様々な困難に前向きに立ち向かって生きているような気がする……。

文/比嘉健二


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