特攻服の不良たちも血相変えて逃げた三多摩のジェイソン、警察との口激バトル…伝説の暴走族雑誌『ティーンズロード』初代編集長が語る「誌面NG秘話」

“レディース”という存在を世の中に周知させ、1980~1990年代にかけてツッパリ少女たちのバイブルとなった雑誌『ティーンズロード』。本誌のグラビアを飾っていたのは、レディース少女たちだけではない。お気に入りの車やバイクで暴走する不良少年たちにとっても、ティーンズロードから取材を受けることはこのうえない“勲章”だった。しかし当然、その現場はハプニングだらけで――。初代編集長の比嘉健二氏がレディース少女たちと接した日々を記し、第29回小学館ノンフィクション大賞も受賞した『特攻服少女と1825日』(小学館)。同著より、一部抜粋、再構成してお届けする。

#1


闇夜で響いた竹刀の音と怒声と悲鳴


三多摩地区某団地の公園で単車の撮影をしていた時のことだった。特攻服をまとった暴走族が闇夜の中で逃げまどっている。悲鳴をあげながらその一団がこっちに逃げてきた。

公園内の離れた場所でその暴走族の単車を一台一台撮影していた自分と倉科とカメラマンは、一瞬何が起きたのか理解できなかったが、すぐに彼らが走って逃げるくらいなわけだから、これは余程のトラブルが起きたに違いないと、わけがわからないままこちらも必死で逃げた。

梅雨の蒸し暑い夜の草むらに大の男3人はしばし身を隠した。夜露に濡れた草が体にべったりと張り付いてきたが、それを不快と感じる余裕は全くない。それよりも得体の知れない恐怖で全身が強張っていた。

バシ! バシ! ギャアー! グワー! バシ! バシ! 暗闇でハッキリとは見えないが、熊みたいに大きな男が暴走族を叩きのめしている様子がかすかに認識できた。竹刀らしき鈍い音だけが闇夜に響く。暗闇でよく光景が見えずに音だけが聞こえることが、よりいっそう恐怖を増大させる。




現場の臨場感が伝わってくる『ティーンズロード』1991年6月号


逃げてきた特攻服の少年が自分たちに気がつき、草むらに近寄ってきた。その息はまだ荒かったが、小声で「先輩なんですが、家の前を俺らが単車で走ったのがうるさくて、気に入らなかったみたいで。でももう大丈夫です、もうすぐ行っちゃいますから、そしたらこの近くにトンネルがあるので、そこに移動しましょう。そこなら安全です」とささやいた。

話はわかったが、本音を言えばいち早くここから立ち去りたかった。

「そういえばクラよ、新車置き去りにしてきたな」
「ついてないすネ、車に何もされてなければいいんですけど」

この夜、倉科の購入したばかりの英国の大衆車ミニクーパーで取材に来ていたことを思い出した。

数分くらい経っただろうか、竹刀の音が消えた。どうやら先輩の怒りは収まったらしい。静寂に包まれた夜の公園で、竹刀で叩かれた特攻服の背中が震えているのが目に入った。

この光景を見て、腕力には自信があるであろう彼らでさえ先輩には無抵抗なことがわかり、暴走族の縦社会の一端が垣間見えた。自分たちと一緒に草むらに身を隠していた少年が「もう落ち着いたので大丈夫ですよ、トンネルが近くにありますから、そっちで単車撮ってください」と言う。

こんなひどい目に遭っても全く懲りていない後輩の精神力もやはり普通ではなかった。トンネルは団地の公園から数分もかからない場所にあり、皆、爆音を立てないように静かに単車を動かしている。そこまでして単車の写真を撮って欲しいという彼らの熱意は並大抵ではない。暴走族の連中にとって、命の次に大事なのは間違いなく自分が改造した単車なのだろう。

トンネルがあの公園に極めて近いのが気になったが、彼らは手際よく単車を並べた。整然と単車を並べる姿を見て、その気持ちに応えるしかないと腹をくくった。再度、一台一台単車の撮影を始めた直後だ。静寂を打ち破るような信じられないことが起きた。


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ジェイソンの悲劇ふたたび・・・・


バシ! バシ! ドス! 竹刀の音だ。さっきの巨体の男だ。狭いトンネル内なので、さらに音が響きわたる。まるでホラー映画の一場面だ。ジェイソンは実在した……。結局この後、無事(⁉)に撮影は終わり、自分たちに危害が加えられることはなかった。一番心配した倉科のミニクーパーも無事だった。

普段なら撮影が終わった後は、撮影場所近くのファミレスでコーヒーを飲むのがささやかな楽しみだったが、今夜ばかりは速攻で立ち去ったことは言うまでもない。

翌日彼らの一人から連絡があった。
「先輩からの言づけです、ティーンズさんに迷惑をかけたことを謝っておけとのことです」
最後までどんな顔立ちだったかさえ自分たちにはわからなかった三多摩のジェイソン。根っからの悪人ではないのだろう……そう信じたい。




不良少女たちの自慢の改造車を掲載した人気コーナー


今でも用事があり近辺のインターを降りると、あの夜脇目も振らず全速力で走って逃げたことが頭をよぎる。一般的に、編集者という職業で〝走って逃げる〞ことなど、そうあるものではないだろう。

ただ、こうしたトラブルは雑誌のイメージの割にはそれほど多くはない。三多摩の件も振り返ればそれほど深刻なトラブルではなかったが、暗闇の中で姿が見えない大男の恐怖が強い印象となっていたので、今でも自分の中では忘れられない出来事なのだ。

あの手の地元の先輩との行き違いによる揉め事も、思い出せばちょこちょこはあることだった。その理由の大半がやはり現役の族の連中が地元の先輩の家の近くで騒音をまき散らすということだった。つまりあらかじめ取材の承諾を先輩に取っていないとトラブルにつながるが、ほとんどは現場で解決することだった。

こういうことを何回も経験してくると、自然とトラブルに対する対処もできてくるのだ。創刊当初は取材中にパトカーが来ただけで心臓が体からハミ出るほど緊張していたものだが、それも毎回のように起きると、こちらも対応策のようなものがわかってくる。