
11月1日、イスラエル国防軍は「情報機関・シンベトの情報に基づいて居場所が特定されたハマスの対戦車部隊司令官を、空爆で殺害した」と発表した。シンベトと国防軍は10月31日には「ガザ近くの農場襲撃を指揮したハマスの指揮官を空爆で殺害」、同月30日にも「軍とシンベトの特殊部隊が人質の居場所を特定し、共同作戦でイスラエル人女性兵士1人を救出」と発表している。
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ハマス幹部殺害、人質捜索を行う防諜・テロ対策組織
イスラエル人女性兵士の救出は、共同作戦といっても軍事作戦なので、軍の特殊部隊が救出作戦を主導したと思われる。シンベトは人質の所在地の特定など、情報活動で重要な役割を果たしたのだろう。ハマス幹部の殺害、あるいは人質監禁場所捜索では、こうしたシンベトの情報と軍の空爆もしくは特殊作戦との組み合わせというパターンが多い。
では、この「シンベト」とは何か。
シンベト(保安庁。シャバクともいう)は首相/首相府直属の情報機関で、イスラエル国内およびパレスチナ自治区(ガザ地区とヨルダン川西岸地区)での防諜・テロ対策を担当する。イスラエルの情報機関というと「モサド」が有名だが、モサドは国外担当で、ガザ地区などはシンベトの担当だ。今回のハマスの奇襲を事前に察知できなかった責任は第一にシンベトに責任があり、戦闘終結後に徹底調査すると約束している。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相 写真/共同通信
シンベトには「アラブ局」「イスラエル・外国人局」「防護保安局」がある。筆頭部局はアラブ局で、主にパレスチナ自治区内を担当し、パレスチナ各組織の活動を監視している。イスラエル・外国人局は国内のテロ対策と防諜を担当。防護保安局は空港や政府庁舎などの重要施設の警備を担当する。
アラブ局は日常的にパレスチナ自治区内で情報収集活動をしており、ときに強引な拘束・尋問も行なう。イスラエルの軍や情報・治安部局の要員がパレスチナ人に成りすまして潜入スパイ活動を行うことを「ミスタービム(潜伏)」というが、シンベトはそれを優先的任務として行なっている。
シンベトは重要施設警備や対テロの部門に武装部隊を持っているが、大規模ではない。西岸地区でテロ容疑者を追跡する場合、シンベトは「国境警察」隷下の対テロ特殊部隊「ヤマス」を出動させる。国境警察は警察の一部局で、国家安全保障省の傘下になり、首相直属のシンベトとは本来は指揮系統は別になるが、エルサレムを拠点とするヤマスは、シンベトの指揮下で実力執行部隊として出動することが多い。
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ハマスの首謀者たちの暗殺専門組織「ニリ」を新設
シンベトの工作のなかで、重要なのが盗聴だ。
携帯電話の盗聴も当然行っているが、パレスチナ自治区内に潜入して盗聴器を仕掛けるといった工作では、ミスタービムの役割が重要だ。ハッキング工作でも、情報を抜き取るウイルスを標的のデバイスに感染させるには標的の交友関係や日常の行動を探るのが有効だが、そうしたところでもミスタービムが役立つ。
今回の奇襲を見抜けなかった背景に、ハマス側が「しばらくイスラエルと戦う気はない」ふりをする偽装工作を仕掛け、イスラエル情報機関がまんまと騙されていたことが明らかになっている。ただ、ガザでの情報収集活動はシンベトの主任務のひとつで、完全にやめていたわけではない。最近のシンベト内では「ガザより西岸地区ほうに不穏な動きがあり、監視強化が重要だ」と考えられたため、一部の人員を西岸地区監視に回し、ガザ監視の手が若干薄くなっていたということだろう。
イスラエル軍の若い女性兵士
それでもシンベトは、冒頭で記したようにハマス幹部や人質の所在情報をある程度は入手できている。軍や他の情報・治安機関よりは、まだ情報収集の手段を残しているのだ。
なお、シンベトはハマス側による襲撃の首謀者と参加者を暗殺する専門組織「ニリ」を新設したと公表している。一部報道ではまるで“凄腕の特殊部隊”のようなイメージで伝えられているが、現在のような戦闘状態では、ガザでの襲撃作戦は前述したように軍が主導する。ニリはおそらく情報収集を主導するいわば特別捜査チームのようなものだろう。ただし、戦闘地域ではない西岸地区なら、機会があれば暗殺も実行するだろう。
他方、有名なモサド(諜報保安庁)は国外担当なので、国外にいるハマス、あるいは連携組織のヒズボラ、あるいは黒幕のイラン工作機関などが監視対象になる。ただし、そうした調査の過程で、ガザにいるハマスの重要な情報もしばしば入手しているはずだ。その追跡調査では、ガザ地区内に対するある程度の独自調査は行っているものとみられる。もちろんケースによってはシンベトとの連携もあるだろうが、両組織は完全に独立した別組織なので、基本的には作戦は個別に行なう。