依存症でトラブルを繰り返す70代両親…辟易した長男がとった“冷たすぎる”対応

長男びいきの息苦しい家庭環境

九州在住の小栗知世さん(50代・既婚)の母親は、世間知らずの箱入り娘だった。祖父は早くに亡くなったため、母親は祖母や曾祖母など、女性ばかりの手で大切に育てられた。地元では有名な名家の分家だったこともあり、地域でも“お嬢様扱い”だった。

小栗さんの母親は、小学校低学年で終戦を迎え女学校を出た。その後は本家のコネでお役所の仕事に就き、30歳目前でお見合いをして結婚。メーカーの事務方に務める同学年の婿養子を迎えた。その1年後、待望の長男として兄が生まれ、3年後には小栗さんが生まれた。

「私が物心ついた頃には、兄が一家の長で、父はまるで小作人扱いでした。兄が生まれた時、母親だけでなく、祖母も曾祖母も大喜びしたのに、私が生まれた時は、『ああ、男の子なら良かったのに。女の子は何にもならん』と、ため息をつかれていたと父から聞きました」

亡くなった曾祖母は小栗さんを可愛がってくれたが、祖母は小栗さんをまるで“いないもの”のように扱い、目を合わせて会話をしてくれた思い出すらなかった。

祖母の言いなりになる母親もまた、兄ばかり大切にし、小栗さんをあまり可愛がらなかった。それどころか、小栗さんの第二次性徴を「気持ちが悪い」と疎ましがり、下着などの生活必需品すら買い渋るため、父親に頼んで買ってもらうしかなかった。

「優秀な兄と違い、私は頭も運動神経も悪く、容姿もイマイチで……。母や祖母にとって、何も自慢できないつまらない娘だったんですよね」

幼い頃から息苦しさしかない家庭環境だったが、結婚を機にようやく距離を置くことが叶った。小栗さんは25歳の時、友人の紹介で出会ったメーカーの研究職の男性と交際を始め、1年の交際を経て結婚。母親や祖母との関係に辟易していた小栗さんは、夫の仕事を理由に東北へと移った。

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父親の負担になった母親の“不安定さ”

家庭環境に辟易していたのは父親も同じだった。若い頃から情緒不安定だった母親は、父親の負担になっていたのだ。

「私が物心ついた頃から、母は周囲の気を引くためなら平気で嘘をついていました。特に、ポリープができたとか下血が出たなど、同情や心配を誘うような嘘を頻繁に。あり得ないほど見栄っ張りで、自分の思い通りにならないと、金切り声を上げて泣きわめくのです」

溺愛のあまりに、兄の交友関係にも口を出し、何度も交際中の女性と別れさせた。そのうえ、母親は“ある宗教”にのめり込んでいた。兄が幼い頃、身体が弱く入退院を繰り返したことがきっかけだが、兄の身体が丈夫になっても、お参りとお布施は続いた。

小栗さんと違い、離婚しない限り家を出られない父親は、こうした状況に疲れ果てて自暴自棄になったのだろうか。働き者で頭の回転も速く、手先が器用な人だったが、転職を繰り返し、ギャンブルやアルコールに依存し、借金までするようになった。