「あまりに楽観的だった」遺産分割で兄弟の命運を分けた“ある決断”

高原俊一さん(仮名)は菓子類を中心に幅広い食品の製造を手掛ける大手企業の営業課長です。結婚するまでは都内の人気住宅地にある実家で暮らしていました。

20年以上前に父親を亡くし、その後は実家で1人暮らしをしていた母親が8年前に旅先で急死。高原さんは弟の慎也さんと話し合い、慎也さんに金融資産を多めに渡して自分は実家を相続することにしました。

凝った庭や建築の実家には愛着があり、リタイアした後に住んでもいいと思ったのと、万一手放すことになったとしてもこの立地ならすぐに買い手がつくだろうと考えたからです。

しかし、間もなくそれが甘い考えだったと思い知らされることになります。最初は家族で実家の手入れに通っていましたが、コロナ禍でその負担が妻の麻紀さん一人にのしかかり、さらに毎年の固定資産税の負担もバカにならず、麻紀さんから強く売却を迫られます。

仕方なく売ろうとすると、「ある大敵」が目の前にたちはだかったのでした。そのせいで売却計画が頓挫し、ならば少しでも賃貸収入を得て固定資産税の支払いにあてようとするも、またしても妨害を受けることに――。

「愛着があったはずの実家がとんでもない“不良債権”になってしまった……」と頭を抱える高原さんに、これまでの経緯を聞きました。

〈高原俊一さんプロフィール〉

東京都在住
54歳
男性
大手食品会社営業課長
妻と子供2人を東京に残して単身赴任中
金融資産1500万円

***
 

「時計の針を巻き戻すことができたら」という言葉がありますが、私自身、8年前に戻れるなら決して今のような選択はしなかったと断言できます。

母が旅先で急死した時のことです。当時73歳だった母は持病らしい持病もなく、髪型や着る物にも気を使うタイプだったので、見た目も若く、父が亡くなった後も仲間との習い事や旅行を楽しんでいるように見えました。

その出来事が起こったのも、親しい仲間3人とお伊勢さん参りに出かけ、温泉旅館に泊まった時のことでした。

朝、仲間の1人が母を起こそうと声をかけても反応がなく、様子を見ると既に息をしていなかったそうです。母の死に顔は眠っているかのように穏やかで、最期まで幸せだったのだろうと思いました。

遺産分割は話し合いで決めることに

母は常々「私は100歳まで生きるわよ」と言っていたこともあり、死後の遺産分割について遺言らしきものは一切残していませんでした。

祖父母の代からお世話になっている税理士さんに頼んで遺産を調べたところ、都内の住宅地にある敷地面積100坪の実家と、有価証券や預貯金などの金融資産が2500万円ほどあることが分かりました。

相続人は私と5歳年下の弟の慎也です。弟夫婦は母と仲が良く、存命中は子供を連れて足しげく実家に通っていたので、てっきり実家を相続したいと主張してくるかと思っていたら、「不動産は兄貴に譲るよ。俺はお金をちょっともらえればいいや」と言います。

それは私にとっても好都合でした。母が丹精込めたイングリッシュガーデンがあり、煉瓦を使うなどこだわった洋館風建築の実家には人一倍愛着があったからです。

また、転勤族で社宅暮らしが長かった私には、マイホームを買うことはあまり頭にありませんでした。ですから、定年が近くなって東京の本社に腰を落ち着けたら、実家に住むのも悪くないと考えていたのです。

万一住めなくなっても、実家があるのは都内の人気エリアです。いくらでも買い手がつくだろうという思いもありました。今となってはこれがあまりに楽観的すぎる考えだったのですが……。

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負担が大きすぎる実家の手入れ

結局、私が実家と預金500万円、弟が金融資産2000万円を引き継ぐことで分割協議はあっさりまとまりました。妻には「本当にいいの?」と念を押されましたが、「いざとなったら売ればいいんだから」と押し切りました。

人が住まなくなった家は傷みやすいというので、月に1度、単身赴任先から帰京する度に妻や子供たちと実家に足を運び、庭の手入れをしたり、家に風を通して要らない物を片付けたりしていました。それもまた、家族にとって楽しい時間でした。いえ、少なくとも、私の目にはそう映っていたのです。

しかし、幸せな時間はそう長くは続きませんでした。

子供たちが高校生や大学生となると実家通いに同行するのを嫌がるようになり、しかも、私が札幌に赴任した半年後に新型コロナウイルスのパンデミックが勃発。ほとんど帰京できない状態が続きました。

妻にとって1人で実家のメンテナンスをするのは、苦行以外の何物でもなかったようです。久しぶりに帰京した際に、「これ以上は無理だから、売れるうちに売ってほしい」と妻から懇願されました。

さらに、ここでもう1つ大きな問題が浮き彫りになってきました。実家の固定資産税です。毎年何十万円という固定資産税が、気づいた頃には我が家の家計を圧迫していたのでした。

●妻に迫られ実家の売却を画策するも、予想外の「大敵」が現れて――。続きは後編で紹介します。

※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。