Photo:1964年式コロナは、現在の価値に換算すると約690万円になる高額車 ©sawahajime
●「マイカー」は高額だった
1958年にスバル360が登場。1961年にはパブリカが、1964年にはコロナ(RT40)が登場した。
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1964年式コロナ(RT40)の定価は64万8,000円、当時の学卒初任給は2万1,200円だった。厚生労働省調査の2020年の学卒初任給は22万6,000円だから、換算すると約690万円になるが、無理すれば手が届く。
そんな時期、1964年の東京オリンピックの直後からモータリゼーションが進んでいった。和製英語であるマイカー(my car)から、「マイカーブーム」が起こった。
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●戸別訪問販促
当時の自動車販売店の販促活動は、戸別訪問による顧客開拓だった。
車を持っていない家庭への新規販売を目的とする「新規開拓」と、現在保有している車両の「代替促進」活動がその活動の目的であった。
個々の営業マンに「テリトリー」を設定し、その担当地区内の全ての家庭を訪問。保有車両の有無、保有車両があれば、最低限、次回車検年月を確認する。
現在は新車登録後、初回車検は3年目だが、当時は新車から2年毎で、その後は10年経過すると1年車検になった。だが多くの車は10年を待たずに代替されるのが一般的だった。
新車登録して「赤」ステッカーだと、2年経過して初回車検を受けると「橙」になる。新車登録時が「青」のステッカー車は、次回は「緑」になり、これが繰り返される。
例えば、「赤」ステッカーの車両が車検を迎える年度には、車検前からフォローする。
参考画像の車の場合は、画像の「赤」ステッカーの車は、5月時点で(1)新車(中古車の場合もある)に代替する (2)継続車検を取る (3)手放すの、3つの選択肢しか無いので、いずれかの結論が出る。「橙」に変わっていれば継続車検を受けたことが一目で判った。(画像2参照)